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この10年余り [blog]

手書きの日記やメモや完成しなかった小説では、下流という表現は用いていないものの、「社会の底辺」という表現を使っていました。

この「社会の底辺」を題材に小説を……と10年くらい前に意気込みましたが、書きすすめるだけの構想が出てこないままでした。

まず、大学が同じで一番親しい友人が博士号をもっています。
いきなり博士になったわけではなく、大学を二つ出て、大学院博士前期後期をやや時間をかけて出ています。

アカデミックな環境を出たあと一般中小企業に入ります。
おそらく、この辺りまでは、友人とわたしの間にある階層は気になっていなかったはずです。

その後が階層を意識せざるを得ませんでした。
国内でトップレベルの研究所で期限付き研究員として所属することになります。

この時に、一瞬は自慢の友人となりえましたが、この友人が変わりはじめた感があり、見えない隔たりを感じるようになります。

わたしからみたら、高額な習い事をはじめ、高学歴で一流企業の研究員のお婿さん候補もいて、結婚もして子どもを産みたいという話を繰り返す友人は階層が違うのだと思いました。

同じ学歴だったのに…とどこかに響くのです。

さらに、研究所の研究員の後、国立大学の教員になります。
期限付きであっても、わたしにとって、祖母が憧れてやまなかった大学です。

祖母は勉強ができなくて入れなかったのではありません。
お金の問題で行けなくなったのです。

そんなこともあり、祖母が憧れてやまなかった大学の大学院を複数回受験しますが、入学は許可されませんでした。

こうなってくると一方的に一層隔たりが大きくなります。

次は期限付きではない大学教員のレールがすでに敷かれています。
そのことが階層を意識させています。

例えになりますが、友人が男だとしたら、有望な結婚相手になる可能性を秘めた、わたしの階層を変えてくれる最後のひとかもしれません。

階層は人を変えるとわたしは実感しています。








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